東北大の学生運動に関する研究や資料
加藤諭
東北大学資料館の教授。学生運動について所収資料をもとに研究。以下の2論文は必読。
『1969年における東北大学の学生運動 : 豊田武教授収集資料を通じて』 https://tohoku.repo.nii.ac.jp/records/52042
『1970年代における東北大学の学生運動』 https://tohoku.repo.nii.ac.jp/records/52069
柳原敏昭 文学部の教授。東北大学100年史の編纂の過程で東北大の戦前の学生運動や治安維持法弾圧対象者について調査し、研究としてまとめる。
柳原敏昭「治安維持法と東北大学―『学生原簿』の分析から―」(『宮城歴史科学研究』96、2026年):東北大学の学生運動の詳細と、逮捕された130名を記録。
書籍
石井恭平『東北大学処分粉砕闘争』(幻冬舎、2024年) https://www.gentosha-book.com/products/9784344949591/
高校教師だったので前提知識から分かりやすく解説してくれるのでおすすめ。一方、筆者はあくまで運動の中心ではなく、運動の近傍で文化活動をしていた人物で、セクトなどの動きについては記述は限定的で、限界はある。
日就寮や有朋寮の総括パンフレット
80年代以降の学生運動の中心であった日就寮や有朋寮は大きな闘争の前後でパンフレットを作成した。その一部を保存する。
サークル協議会関係資料
東北大学文化部サークル協議会1990年新歓パンフレット https://drive.google.com/file/d/1Sz627hhpzoEZA1IKBcgIRyl5Q2iYMjlK/view?usp=sharing
檜田が手元に所有しているが、アーカイブ作業は進んでいない。
その他
インタビューなので検証されていないが、90年代後半の東北大の学生運動の雰囲気を知ることができる。 https://note.com/toyamakoichi/n/n1e06b5a6489c
動画
「保管庫から」
https://youtube.com/channel/UC-kL5ijaYYWQ_KJZeKcJ4Yw?si=yvASy--VqUPV4tLn
東北大学某所に眠っていたビデオテープをアップロードしている友人のYouTubeチャンネル。東北大・山形大の2000年頃の学生運動の様子。
tomjichikai
中核派の個人チャンネルか。
2011年に東北大の学生運動の支援に来た中核派が撮影した映像が残っている。キャンパスの集会やデモの様子を見ることができる。
日就寮vs東谷
https://youtu.be/uobzn5JYLO8?si=hOX5Tc7CAQWoN4VV
そのほか
https://youtu.be/fXn7tiMWDI8?si=UOzDX7SFo1Xh3Y5f https://youtu.be/5sKL2AxqI4o?si=jxG1fZnl0Xbu12-w https://youtu.be/I8DM_8kCW6k?si=3AFrCfgdq3Fl9Tzb https://youtu.be/3wieH0rBgcg?si=P6Hn7bfIymJjK6ok https://youtu.be/IHPXujhwzsI?si=JbF-bnCvG543qmQO https://youtu.be/WQeU86w3-e4?si=zHGKxUiIQCau08gr https://youtu.be/Wnrptq3_siY?si=DLKs3zffqgedsLud
3・14法大大弾圧を許さない法大生の会チャンネル
2011年の2つの学生デモについての動画。支援にきた法大生が撮影したものか。
https://youtu.be/GyU4YtBEVH0?si=W6gb_-sCysaH39Zw
https://youtu.be/ExA6DtgLQqg?si=dvxQyqoHrciKXDEs
東北大学の学生運動通史
ここに東北大学の学生運動通史を執筆していく。
戦前期の学生運動
参照: 柳原敏昭「治安維持法と東北大学―『学生原簿』の分析から―」(『宮城歴史科学研究』96、2026年)
東北大学は1930年頃まで学生運動がなく「左傾学生がいない大学」として言われていましたが、1930年頃から共青の活動家が逮捕され、1932年の11・14事件という弾圧で組織的な運動が壊滅します。一方、その頃から法文学部自治会(非公認)、法文学部共済部(消費者組合的組織)、医学部自治会(非公認)などが本格的に活動し、文化活動なども積極的におこなわれます。1933年1月に発覚した「東北大疑獄事件」という汚職事件の真相究明を求める運動が広がり、4月以降の京大滝川事件に際して大学の自治と学問の自由を擁護する学生運動が広まり、法文学部の学生大会には300名が結集したそうです。運動の基軸となった法文学部の高等学校代表者会議が全国の運動をリードしますが、弾圧によって10月には収束してしまいます。 主要な活動家が弾圧された後も学生団体が講演会・映画会・演劇鑑賞会などの文化事業を充実させ、『東北帝国大学新聞』なども発行されました。しかし、1937年末以降の人民戦線事件のあおりを受けて運動の継続は困難になり、消滅。学生団体は1941年に学生団体は「東北大学報国会」に吸収されてしまうのです。